運ってなんなんだろ。
よく、「運が悪かった」「運がいい!」とか言われるように、多くの人は運の存在を信じてる。
運に対する人の見方は三者三様。
「ここで運を使うのは勿体ない」
「人生における運は総量が決まってる」
「私は不運」
「あの人は悪運が強い」
「ウチはツイてる!」
「運も実力のうち」
…
色々あるけど、どれに関しても、(良くも悪くも)誰が決めたものかはハッキリしてない。
迷信といえば迷信かもしれない。
っていうか、そもそも、運ってなんなんだろ。
「積まれた徳の対価として得られるラッキーゲージ」のようなもの考える人もいれば、
「あらかじめ配られた手札」のようなものと考える人もいる。
運の定義も三者三様だ。
私は、「運=自分の心」として考えてる。
「運が良い」か「運が悪いか」は、自分が決めること。
言い換えれば、今起きてることを、「肯定的に捉える」か「否定的に捉える」かは、自分の心が決めること。
私は、今起きてることは、原則として肯定的に受け入れてる。
それが一見悪いものだったとしても。
運ってなんなんだろ。
運は、自分の心。
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フリーダム!
フリーダム!
今日は、私もあまり得意じゃない政治の話。
最近、香港でデモが活発的みたい。
香港で取り締まった人を中国本土に引き渡すことが可能となる、逃亡犯条例の改正が問題視されている。
条例が可決されれば、一国二制度の事実上崩壊。中国本土の独裁統制に基づき、言論や表現の自由が失われる。
そうともなれば、外国人観光客やジャーナリスト、報道も危ない。
香港返還以来、2046年まで約束されてきた「特別行政区 香港」としての自治権が前倒しで中国の統治下に鞍替えを強いられる。今の中国の情勢から考えて、いいことはない。
香港市民が香港市民である、という人格が奪われ、香港は香港でなくなってしまう。
自由じゃなくなってしまうかもしれないのだ。
だけど、逃亡犯条例の改正は、取りやめない方針だそう。良くて棚上げ。
私は、香港はいつまでも香港であってほしい。ぶっちゃけ、今回のような暴動(の元凶)、良くない。
何より、香港のエンタメが好きだから。
世代じゃないけど、カンフー映画を観て育ったし。
地域のアイデンティティを奪うなんて、国がすることじゃないよ。マジで。
香港はいつまでも自由であってほしいな!
自由って何だろう。
ほんと、自由って何だろう。
働くってなんなんだろう
5年前、大学の授業で映画「千と千尋の神隠し」を鑑賞した。
劇場公開以来、千と千尋は正味20回くらい観ていたけど、この時の教授の解説・考察を聞いてからは、映画の印象がガラリと変わった。
なんでも、教授によれば、千と千尋は、労働社会の縮図みたい。
・八百万(やおよろず)の住む街=現代の労働社会。
・八百万の神=就労者。
・豚にされる両親=働かざる者に対する社会的制裁。
・名前を奪われる=所属先に身を捧げ、社会人を全うする。アイデンティティ(私が私であるということ)の消失。
・カオナシ=ニート、就労困難。あるいは、いわゆる社会不適合者。輝く存在に憧れを持ってる。
・労いの言葉(湯婆婆「千!よくやったね!」など)=仕事の成績で認められたということ。また、千尋の成長ポイントを言い表してる。
他にもまだまだあったけど、レジュメどっか行っちゃってもう覚えてない。
この考察から連想するに、千尋は、社会に裏切られた青年の姿なのかもしれない。
それでも、千尋は自分の役割を全うし、結果として仲間に認められた。
もう、ハクの助けを必要としない。
自立ってこういうことなんだね。
働くって一体なんなんだろう。
それは、自分の天命を全うしながら、誰かの喜びの一部となること。
…
あ、ちなみに!
映画の終盤、湯婆婆は「ふん!とっとと行っちまいな!」的なセリフを吐き捨てますが、この後、湯婆婆は振り向いてニッコリします。超ちっちゃくてわかりづらいですが。
湯婆婆は、なんだかんだ言って、千の事が心配で仕方なかったんですね。ひと安心といったところでしょうか。
ソフトを持ってる方は、ぜひ確認してみてくださいね。
古き友は金(こがね)ぞ
昨日、5年ぶりに映画「スタンド・バイ・ミー」を鑑賞した。
今まで3〜4回観てるけど、その度に違った感想を抱く不思議で奥深い映画。
中でも、印象的なのが、終盤。(以下ネタバレ)
長い旅路の末、死体を見つけた少年4人は、それぞれ帰路につく中で、会話がほとんどない。
夏休みが明けた後には、4人が以前のように仲良くしなくなった。…というもの。
このシーンがあらわしてるのは、実にシンプル。
それぞれ4人が、旅をする中で己の殻を破り、大人になって別々の人生を進んだ。ということだ。
大人の階段を上ると、不思議と古き友達と会いたいと思わなくなる。仲が悪いわけじゃない。心が別の環境を必要としてるから。
子供時代からの友達と大人になってもずっと仲良しという人もいる。その中で成熟して行く人は、昔の友達を金(こがね)のように大事に思える人だ。
私は、前者の方。
めちゃくちゃ仲良しだった高校や大学時代の友人とも、ひょっとすると、もう生きてるうちに会わないと思う。
出会いも大事だけど、別れも大事にしたい。
(別れっていうのは、恒久的な意味じゃなくて、一時的な意味)
友達って何なんだろう。
それは、癒しと成長をもたらす心の伴侶。
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幸せになることの後ろめたさ
幸せが具体的に何か分からない人は多い。
でも、幸せというものになんとなく後ろめたさを感じる人もいる。
幸せになると、自分が廃ったり、次に代わり番こで不幸がくる気がして、なんだか幸せが怖い。
だけど、いったい誰が「幸せは罪」だと決めつけたのだろうか。
幸せで自分がダメになるとしたら、
それは、幸せを「ぬるま湯」と履き違えてるだけ。
ぬるま湯は、「成長の妨げ」。
幸せは、「心の充足感」。
お風呂上がりにハーゲンダッツを食べて、恍惚に浸ったり、
積年の心願が成就して、泣くほど嬉しかったり、
まだ見ぬ海外の情景を思い浮かべて、(いい意味で)現実逃避したり、
カレカノと一緒にいるだけで、心強くなれたり、
地道な努力をする中で、気づいたらやり甲斐を感じていたり、
いつもの何気ない情景が、ふとありがたく思えたり、
幸せの感じ方は人によって違う。
幸せの定義は曖昧だ。
故に、ーー
幸せの定義は自分好みに変えられる。
幸せは、誰も邪魔しない。
幸せに後ろめたさを感じてるなら、幸せを邪魔だと決めつけてるだけなんだよ。
我々には、生まれながらにして幸せになる「権利」が生じてる。
幸せになるのも…悪くないかもよ…?
そこで、魔法のフレーズをあなたにプレゼント!
「"私たち"には、幸せになる権利がある」
「私の幸せは、私が決める」
これを街を歩いてる時なんかで、心の中で唱えましょう。
幸せは、そんなに悪くない。
幸せは、いいものだ。
では👋
読者の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます!
ちなみに、本日のアクセス数 3
悩みがなくて(ブログ8日目)
最近、怖いくらい本当に悩みがない。
煩わされることもない。
さっきだって、出先で革靴の底が でろーん って剥がれちゃったけどなんとも思わなかった。
なんでストレスフリーになれたのか。
それは、頭の中によぎる言葉を変えたから。
前は、ムカついたらムカついたで思いの丈をそのまま放ったらかしてた。
でも、そうすると自分も他人も傷つけるし、長い目で見ると百害あって一利ない。
だから、頭の中の言葉を、プラスのフレーズで埋め尽くした。
「私は、○○さんを許します」
「私は、自分の感情を許します」
「私は、全てを受け入れます」…
と、こんな感じ。
気がついたら、悩みもなく、嬉しみを感じられるようになった。
これってプチ贅沢よね。
頭の中の言葉を変えるだけで心が変わるなんて、思ってもなかった☺️
心が変わると環境も変わるもんよね。
では👋
読者の皆様、いつも最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
*今日のアクセス数 1! 0よりかはマシ!