私のブックレビュー 努力不要論(著:中野信子)🐾
私のブックレビュー 努力不要論(著:中野信子)🐾
努力不要論を読んだ。思ったことを書いてく。
こういう、雑で凡百な啓発本の真逆を行くような、意表を突く内容が鋭く記された本は好き。
内容は、いわゆる日本社会に蔓延る根性論としての努力が果たして本当に必要かという是非と正しい努力の仕方を、脳科学的な視点から紐解いていく感じ。
科学的根拠によって裏付けられた不都合な真実を引き合いにして、根性論を滅多斬りにディスってるところに外連味がある。
これが安心感を抱けるし、文脈に表れる説得力がこれまた恐ろしい。
私も、生粋の怠け者がゆえ、日本社会における努力崇拝についてよく疑問を抱いてる。
私は、努力は好きじゃないし、努力という言葉もどこか苦手だけど、努力は"最低限'"必要だとは思う。
「やるべきこと、やりたいことはやっていたい派」であり、
「やらなくていいことは極力やらない党」を支持してる。
だけど、本書を読んで改めて感じたが、この日本社会には、努力を単なる"やせ我慢"かなんかと履き違えてる人がかなり多い気がする。
努力って、所詮"創意工夫"でしかないところがあるから、体感的に努力する、してるっていうのはちょっと違うと思うんだよね。
それから、よくある、「努力は報われる」という標語を掲げるちゃうのも、なかなかにヤバいと思う。
当然、報われない努力もあるでしょうに。
それに、何がヤバいって、見返りを求めて努力するというのは、慢心でしかなく、功徳を生まない利己的な気持ちを生んでしまうことがあるからだ。
自分の努力に対する報いがないと知った時に、不信感を抱いたり、不公平を嘆いたり、憎悪や怨恨の念が芽生えたり、失敗を引きずったり、バーンアウトしたり…。
大げさかもしれないけど、人って、自分の思想信条にのめり込めば のめり込んじゃうほど、自己憐憫だったり乱暴になりやすいからね。
本書によれば、報われない努力というのは大きく分けて2パターンあるらしい。
・単に努力不足
・努力の方向性が間違ってる
あー納得。ダイエットでシェイプアップしたい人がコストコの業務用アイスを完食する努力しても本末転倒でしかない。
努力がなかなか実を結ばないとしたら
「自分では努力してるつもりなのかもしれないけど、実はただ血迷ってるだけなのかもしれない」ということだろう。
ずばり、「要領が悪い」の一言に尽きる。
「努力は必ず報われる」でおなじみの、アイドルグループ・AKB48で総監督を務めていた経歴がある高橋みなみ も、
「ただ、がむしゃらに努力すればいいというものではない」
「本気で努力した先には、当初思い描いていたのと別の到達点がある」
と語ってる。
なるほど、この2つの言葉を、AKBを束ねた たかみな が言うとなると説得力が違う。
この2つの言葉によって、
「努力は量さえこなせば、それ相応の報酬が必ず手に入る」、
「理不尽に耐えれば後生は極楽」
「苦労は買ってでもするべき」
…というのは、都合の良すぎる勘違いだと気づかされる。
また、努力好きが努力中毒に陥るのは、自分を痛めつけることがカンフル剤となってるらしい。
"セルフSM"にハマるということか。
今なお、この"セルフSM的努力崇拝"が根強く残ってる日本では、必要以上の勤勉と忍耐が美徳とされてる。
そこんとこ、我々柔和な若者にとってはマジメンドくさいんだし。
SMの趣味はないし。強いて言うならマゾだしん。
最近話題になってる、働き方改革やコンプライアンス遵守といった企業全体の是正意識も、向上しているように見えて、全体的で見ればやはりどこか表面上の薄っぺらいものとしか思えない。
増長しきった既得権益ジジイどもが、無自覚に若輩者を潰しにかかる風土の会社、未だ数知れず!
今年の春に見たSNSのTLでも、年配上司の呆れた放埓ぶりに翻弄されてるという新社会人の投稿が若干、というか沢山。
日本社会特有の年功序列型、減点方式、点数主義といったガラパゴスで人が育ちにくい生産構造は当分なくならないかもね。
今、その構造に揉みくちゃにされてる我々若者も、いつか中年になったら年下に同じ洗礼を浴びせるんだろうか。にゃー。やだー。そんなこと言わないでー。
次いで、興味があった箇所。
努力好きには、他人を潰しにかかるという特徴があることが本書で述べられてる。
考えるに、誰もが、自分が時間と汗をかけて頑張ったら、その頑張りを極力、徒労で終わらせたくないという思いがある。
だから、比較的自分より少ない労力でおいしい思いをしてる人が現ると、自分がやっていたことが無駄や取り越し苦労に思え、バカにされた気分になりうるのだろう。そして、そいつのことを引きずり下ろしたくなる。
たとえば会社なんかで、実力でのし上がってきた孤高の上司が、若くてチヤホヤされてる後輩にムカついて、職場に後輩の根も葉もない悪い噂流してやったり。…なんてのもよく聞く話。
アラを探してマウント取り合ったり、なんてのも、同窓会に来るイケてる組の常套手段。
マウント大好きマウンティングゴリラが多く集まる会場のサファハリパークでは、いつもそんなことが行われてるらしい。
これだから同窓会は。
野心は、情熱的で純真に見えて、どこかで、優越性を欲し、支配欲を孕んでる。
だから、正統派や実力派、および劣等感に苛まれる人ほど競争心が芽生えやすく、嫉妬が強くなるのだと思う。
それから、やっぱり、つくづく感じるのは、先に少し触れたが、日本社会の努力崇拝に洗脳されて、努力を極端に捉えてる人がいくらなんでも多いように思える。
努力好きは「これくらいはやっておこう」と、「これ以上はやらなくてもいいや」の"中間"を無視しがちだと思う。
我々日本人、"良い加減"、"いい塩梅"といった中道を大切にするべきじゃないのかな。
腐らず、やりすぎず、的な。
人間たるもの、
無駄なタスクを増やして頑張るより、
自分の負担を減らして気持ちよくやり過ごす方が、よほど立派で健康的だと思う。
たとえば、仕事の業務では、カッコつけてリーダー1人で量をこなすより、役割分担の方が楽だし、早く進むし、チームとしても円滑になる。
家事育児に疲れ切ってるお母さんも、義務感と使命感で辛抱を続けるより、
子供を保育園やベビーシッターに預けて旅行でリフレッシュするというのも一つだ。
お母さんが望むなら是非労わるべきだろう。
経理計算は、クラウドやAIに任せるほうがやりたい作業に専念できる。
暑い中での近場の移動はバスやタクシーを使う。
勿論、これらの中には、それなりに費用がかかるものもあるが、貴重な時間と心身を思えば、すごく割に合う出費で済む。
むしろ、自分1人の時間を大切に活用すればこそ、心と生活、あわよくば人生全般に余裕と潤いがもたらされると思う。
そもそも、みんな幸せになるために生きてるわけんだし。
私は、「人生は、謳歌するものだ。」ということを、最近身を以て知った。
スピリチュアルな書籍では、「人生は試練」的なことがたまに書かれてるが、
人生、幸せに生きることが最大の試練なんじゃないかと思える。
そういえば、努力努力って言葉を浴びて育ってきて気になったけど、「努力」って一体なんなの。
私は、努力を「目標に標準の合わさった"行動と研究"、およびそれらの継続」と定義してる。
もっと短くすれば、
努力とは、「目標のために最善を尽くせ。」
ってことなんじゃないか。
自分を痛めつけることは、ただのやせ我慢。
がむしゃらな作業は、ただの徒労。
謙虚に欠ける自信は、ただの増長。
気晴らしやリフレッシュも、努力の一つ。
大胆なことしなくていい。
無理しなくていい。
自分なりの創意工夫でいい。
努力って、別に辛いものじゃないし。
自己啓発本が好きじゃない人にオススメ。
生き方や行動について疑問を抱く人に尚オススメ。
挫折を味わったことがある人には超オススメ。
努力をしなくて何が悪い!?