幸せになることの後ろめたさ
幸せが具体的に何か分からない人は多い。
でも、幸せというものになんとなく後ろめたさを感じる人もいる。
幸せになると、自分が廃ったり、次に代わり番こで不幸がくる気がして、なんだか幸せが怖い。
だけど、いったい誰が「幸せは罪」だと決めつけたのだろうか。
幸せで自分がダメになるとしたら、
それは、幸せを「ぬるま湯」と履き違えてるだけ。
ぬるま湯は、「成長の妨げ」。
幸せは、「心の充足感」。
お風呂上がりにハーゲンダッツを食べて、恍惚に浸ったり、
積年の心願が成就して、泣くほど嬉しかったり、
まだ見ぬ海外の情景を思い浮かべて、(いい意味で)現実逃避したり、
カレカノと一緒にいるだけで、心強くなれたり、
地道な努力をする中で、気づいたらやり甲斐を感じていたり、
いつもの何気ない情景が、ふとありがたく思えたり、
幸せの感じ方は人によって違う。
幸せの定義は曖昧だ。
故に、ーー
幸せの定義は自分好みに変えられる。
幸せは、誰も邪魔しない。
幸せに後ろめたさを感じてるなら、幸せを邪魔だと決めつけてるだけなんだよ。
我々には、生まれながらにして幸せになる「権利」が生じてる。
幸せになるのも…悪くないかもよ…?
そこで、魔法のフレーズをあなたにプレゼント!
「"私たち"には、幸せになる権利がある」
「私の幸せは、私が決める」
これを街を歩いてる時なんかで、心の中で唱えましょう。
幸せは、そんなに悪くない。
幸せは、いいものだ。
では👋
読者の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます!
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