私のブックレビュー: 読んでない本について堂々と語る方法(著:ピエール・バイヤール)🐾
私のブックレビュー 読んでない本について堂々と語る方法(著:ピエール・バイヤール)🐾
「読んでない本について堂々と語る方法(以下、本書)」について堂々と語る。
本書では、表題通り本を読んでなくても内容を語る術について書いてある。
まさに、私のように努力なしでインテリぶりたい人にとってはうってつけのハウツー本。
フランス人だけあって、やけに悲観的な語り部が特徴的。なんか可愛い。
まず最初に、本を「読んでる」「読んでない」という定義の曖昧さについて説明がある。
読了してなければ読んでないことになるのか、
少しでも目を通してれば読んだことになるのか。
とか。
ただでさえ、本を読んだ読んでないの定義が曖昧なんだから、本をちゃんと読まないのは恥ずかしくないよ。とでも言ってくれるように聞こえる。
ぶっちゃけ気が乗らないのに、難しい本を使命感で読了して何も身に付かなかったり、
読もう読もうと思っても、読書の習慣がないばかりに積ん読してしまったりすることも、ひょっとしたらあるのではないだろうか。
特に、買っただけで読んだ気になってる態度する人なんか、ちゃんと読んでる人からすればバツが悪いのだろうけど、私もこれをよくやる。
驚いたのは、意外にも学者たちも本をそこまでちゃんと読んでないという事実だ。
プルーストを取り扱う学者でさえも、プルーストの本はざっと目を通したくらいでしか読んでないことあるらしい。ってか、プルーストって誰。
とにかく読んでるうちに、「あー、本っていい加減に読んでも別にいいんだ。っていうか、むしろ読まないほうがいいのか。」っていう安心感を抱ける。
「語り得ぬことについては、全て黙しなければならない。」
というどっかの偉い人の言葉なんて無視していいんだと。
ぶっちゃけ、本って高いしね。本の9割は値段の割りに合わない。
つまらない本だったり、読みやすいだけで役に立たない本なんてごまんとあるし。
ハウツーなんてそう。
どの本も、分厚い内容の割に、結局は「今すぐ行動しろ、ベストを尽くせ」の一言に帰結するから、何冊も抱えたところで意味がない。
自己啓発本を何年も買って読み続けてるのに、大して自己啓発できずに年だけ食ってる人は本末転倒だと思う。
悪いけど、ホントのことだ。
成功本にしたって、ロングセラー本の一部を受け売りしてるだけの"まとめ本"みたいなのが少なからずある。お手頃感はあるけど、内容が他の人の受け売りばかりでペラペラ。著者の人生経験が少ないが故の説得力のなさが露呈してる。
それでも、そんな本にお金を払いたくなるのは、帯の「著者累計50万部突破!」とか「読めば人生変わる!」にすぐ引っかかるからだろう。
累計発行部数だって闇雲にたくさん本を書けば誰だって増やせる。だって、出版タイトル数と累計発行部数は必然的に比例するから。
それに、読めば人生変わるかどうかなんて、読んだ後の読者の行動しだいだろうに。
「読めば人生変わる」は、「読んだだけじゃ人生変わらない」。
だから、こういう捻くれた発想をする私は、本は少なくとも毎日1冊以上は読んでるけど、本屋の立ち読みか図書館で済ませてる。
お金を払って買うのは、よっぽど役に立って繰り返し読みたくなるような本くらい。それもせいぜい1年に2冊くらい。
小説でさえも、立ち読みがほとんど。
なんていうか、読書自体は好きだけど、買って満足しちゃうんだよね。
本の中で言えば、最近だと特に、「啓発本読もうぜ」「教養増やそうぜ」みたいなメンドくさい風潮があるようだけど、所詮、インテリぶりたい人間が本棚を自慢して優越感を獲得したいだけに思えるわ。
本を読んで、知識だけ蓄えたり、意識だけ高くしてもしょうがないしね。
結局は、努力で結果出したり、人間性に優れてる人が評価されるんだから、本を読んだか読んでないかだけで到底測れるものではないと思う。
たとえでいえば、最近だと政治家でさえ歴史を知らない人もちらほらいるし、もっとも、今の政治家に必要とされてるのは教養じゃなくてモラルなんだよね。そう、コンプライアンス。
公然とセクハラ・失言しといて、言い逃れ責任逃れして雲隠れしようという案件が後を絶たないのだから、こういう人間が自治を任されたのだと知れたら、民衆はたまったもんじゃない。
教養も肩書きも、大してアテにでにたもんじゃないよね。
「読んでない本について語る方法」は、本を読みたくない人にオススメ。
でも、本を読みたくない人がこの本を読むとなると矛盾してるような気がするけども。
さて、かく言う私も、実はこの「読んでない本について堂々と語る方法」を最初の部分しか読んでないのだが、
まさか、自分の出した本が読まれずに語られるとは、著者のピエールさんに想像できただろうか。