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海外セレブトリビア!ジャッキー・チェンについてあまり知られてないこと(その1)

海外セレブトリビアジャッキー・チェンについてあまり知られてないこと(その1)

ハムハ!ケモフリです!

今日はジャッキー・チェントリビア

そのコメディタッチなカンフーアクションと魅力的ながらも決死の覚悟で挑むデス・スタントで今尚支持率の高い世界一のアクションスター!

ジャッキー・チェンは私も超大ファンで、今まで本人を2回見たこともあるんすよ〜 えへん(^人^)

中でも、一番のオススメの映画はポリスストーリー/香港国際警察


狂気の沙汰とも思えるスタントの連続は必見! 最初見た(当時10歳)とき、目頭熱くなりました。

ファンも多いジャッキーですが、意外にも謎な一面が多い。

普段ブログでトリビア記事を書くときは海外のトリビアサイトや、映画サイトを参考にリサーチすることが多いのですが、手元にジャッキーの自叙伝や映画のパンフがあることもあり、すんなり書きやすかったです(笑)

ジャッキーファンの方も、実は知らないことがあったりして? 若干マニア向けかもしれないですが、御了承ください…。

1.ジャッキー・チェンは1954年4月7日香港生まれ。おひつじ座。

2.一人っ子として生まれてるが、兄と姉が2人ずついることを後から両親に告白された。

3.7歳から中国戯劇学院にて、10年間の血の滲む鍛錬に励む。 マスター・ローという師匠の元、兄弟弟子と共に京劇、カンフー、アクロバット四書五経を猛特訓。 ここでできた兄弟に後に映画で共演するサモ・ハン・キンポーやユン・ピョウらがいる。 サモ・ハン・キンポーにはよくぶん殴られてた。

4.トランス・ポーターの監督で、X-MENなどのハリウッド大作でアクション監督を務めるコーリー・ユンも兄弟子の一人。 学院生時代、一緒に女風呂を覗き見するほど仲が良かった。

5.学院卒業とほぼ同時期に京劇業界の衰退から学院が閉鎖。 10年間培った身体能力とバイタリティを武器に映画でスタントマンとして活躍し始める。 映画"ドラゴン怒りの鉄拳"でブルース・リーに飛び蹴りされて吹っ飛ぶ悪役のスタントでブルースに一目置かれる。

6.続けてブルース・リーの"燃えよドラゴン"で何度か劇中でボコられる端役として登板。 そのとき、ブルースに棒でモロにぶん殴られ、何度も謝られた。 ジャッキー曰く、「若くてスタミナがあったから痛くなんてなかったけど、"あぁ、うぅ…"って痛いフリしてた。ブルースと一緒にいたくてね。」 その後、ブルースには現場で会うたびに手を振られたりと、高待遇だった。

7.ジャッキーがボウリングをしようと街を歩いてる時に偶然ブルースと会い、一緒にボウリングに行ったこともある。 しかし、ジャッキーがプレイしてる姿を後ろから見てるだけで、物憂げに途中で帰る。 その数週間後にブルースは急逝。

8.ブルースの死後、ジャッキーはオーストラリアに移り住み、工事現場で働いたりレストランで不法労働をしていた。 芸名「ジャッキー・チェン」の由来は、オーストラリア在住時にとあるバイト先で「ジャッキー」とあだ名で呼ばれたことで本人が気に入ったため。

9.以前のスタントマンとしての活躍を知るエージェントにジャッキーはスカウトされ、「レッド・ドラゴン/怒りの鉄拳」や「少林寺木人拳」「成龍拳」など、映画俳優として様々な作品に主演。 しかし、それぞれプロデューサー(兼事務所社長)、ロー・ウェイの虚栄心の見え透いた傲岸不遜っぷりからか、製作者の士気はことごとく下がり、映画はことごとく失敗。 その中で新興の制作会社に見出され、1978年に製作された「酔拳」と「蛇拳」が大ヒットし、スターダムへと駆け上がる。 ブルースの死後、低迷期だったカンフー映画界にコメディという新しい風を吹かせ、潤いをもたらした。

10.そして、ロー・ウェイの傘下から一刻も逃れたいジャッキーはゴールデン・ハーベスト社(以下、GH社)に移籍を試みるが、契約書の改ざんにより現在の日本円にして20億円もの違約金を要求される。 それを振り切り1980年に、監督兼主演の「ヤング・マスター/師弟出馬」の制作を始めるが、撮影現場に犬の死骸を放置されたりと嫌がらせを次々受ける。 とうとうローは"三合会"という香港マフィアにジャッキーを拉致させたりと、過激さを増した。 しかし、法廷で競った結果、法外な違約金はGH社がジャッキーに対する投資という名目で肩代わりし、マフィアの義理もジミー・ウォングという黒会社と癒着がある俳優に取り合ってもらい、無事丸く収まった。 26歳で製作に乗り出した「ヤング・マスター/師弟出馬」は大ヒット。

11.一時期はスランプだったが、1983年に製作された「プロジェクトA」がスマッシュヒット。 伝説と称される劇中の時計台落下シーンは怖すぎて一週間ぶら下がってた。 最中、共演者のサモ・ハンからは冷やかしを受けたり、エキストラとして参加してた父からは応援されたりと、集中できなかったという。 力尽きるまで時計の針にぶら下がることで、自然に落っこちるのを待つことにし、 結局(なぜか)3回落ち、首の骨を折る。

12.ジャッキーはミュージカルやサイレントのハリウッド映画が好きで、ハリウッド進出には意欲的だった。 しかし、アメリカのスタッフとは相性が悪く、「キャノンボール」など、アメリカ映画に出演したが、香港の時ほど采配を上げさせてもらえず、映画が失敗すればジャッキーの名も浸透することはなかった。 1984年に製作した「プロテクター」では、アメリカ側の手法にとうとうブチギレ、気に食わなかった部分全てを自分で撮り直してしまう。 その為、プロテクターは二種類の本編のバージョンが存在することになるが、ジャッキーのガッツも虚しく興行的にどちらも失敗。 以来10年間ハリウッドから遠ざかることに。

13.「プロテクター」のストーリーである刑事ものというジャンルでインスピレーションを受け、1985年に「ポリスストーリー/香港国際警察」を監督・主演で製作。 この映画では画期的な手法がとられ、一番初めに終盤のアクションシーンを全て撮り終えてから、それに見合った脚本を後付けで作って撮影するというものだった。 これは、脚本を作らない香港映画ならではの自由なやり方。 (ちなみに、香港映画で脚本を刷らないは、別の映画を製作してるスパイが潜り込んで、盗んだ脚本を元に映画を作ってしまうなんてことがある為。昔は製作体制も機密保持もユルユルのガバガバでしたが、今は普通に脚本存在します笑)

14.ポリスストーリー/香港国際警察のクライマックス、シャンデリアの電飾を滑り降りるスタントは、小さな爆発装置を装飾に付けたり、下にガラスキャンディーの破片を敷いたりと様々な工夫をこらせた。 元々、電飾を滑り降りる時にあらかじめ電圧を半分にする予定がスタッフがうっかり忘れてジャッキーは危うく感電死しかけた。 その満身創痍の苦労の甲斐あって、ヒットはしなかったものの、大きな話題を呼んだ。 当時のジャッキー人気はアジアにとどまっていたが、イーストウッドやスタローンなど、ハリウッドの同業者の間で「こいつやべぇ」という同作の口コミが広がり、様々なオファーがジャッキーに舞い込む。

15.「ジャッキーはどうせアクションだけ」という心ない評論に発揚され、1989年に「奇蹟/ミラクル」を監督・主演で製作。 ハリウッド黎明期の名作として名高いフランク・キャプラ監督作「一日だけの淑女」及びそのリメイクの「ポケット一杯の幸福」を原案にしたリメイク作。 当初はドラマのみのアクションなしで製作するつもりだったが、GH社の指示により、結局カンフーアクションが盛り込まれた。 結果、ドラマ性が高く評価され、ジャッキー自身「自分で監督した中で一番お気に入り」と語るほど思い出深い作品に。

16.1993年に製作された「ポリスストーリー3」がハリウッド関係者の間で大きく話題を呼んでハリウッド進出のキッカケになる。 同作では、たった3時間しか撮影許可が下りなかったマレーシアの街中でのカーチェイスや、敵のヘリコプターの縄はしごにぶら下がりながらのたらい回し、ミシェル・ヨーのバイクスタントなどが注目された。

17.1994年に酔拳2を製作。 途中監督と揉め、自身がメガホンをとっている。 出世作の16年ぶりの続編という長きブランクにもかかわらず大ヒット。 まったく年齢を感じさせない(当時39〜40歳)スリリングなアクションシーンが注目され、同作のビジュアルとアクションは格闘ゲームやバトル漫画にも多大なる影響を与えた。

18.そのハリウッドのラブコールに応えるべく、1994年「レッド・ブロンクス」を製作。 ジャッキーが自分の持ち味を存分に発揮できるように、同作はあくまで"ハリウッド向けの香港映画"としてGH社で製作される。 劇中ジャッキーがホバークラフトにジャンプして乗り移るシーンで右足のカカトをグニャッと骨折してしまう。 しかし、ギプスにシューズのだまし絵を描いて撮影を続行。そのまま120km/hで海上を走るホバークラフトに後ろからロープで引っ張られるスタントを撮影する。 現地カナダの関係者は驚いて声も出なかった。

20.レッド・ブロンクスは"ニューラインシネマ"というハリウッドのレーベルが配給。 ニューラインシネマが手配したロサンゼルスのチャイニーズシアターでのプレミアに、新生アクションスターの噂を聞きつけた業界中のマスコミが殺到する。 また、クェンティン・タランティーノの推薦によってMTVアワードを受賞したことにより、ジャッキーは見事悲願だったハリウッド進出に成功した。

21.そして、1998年には初の本格ハリウッド映画である「ラッシュアワー」にクリス・タッカーとW主演。 ジャッキーは香港時代、自身の主演作では基本的に自分でアクション監督していて、本作でも任せてもらうことに。 しかし、アクションシーンを巡ってスタッフと度々対立。 準備に一週間かけたいところを「冗談だろ?君なら一日でやってくれよ」と言われたりと、不満も多かったという。 その予想を反してラッシュアワーは大ヒット。

20.しばらくハリウッド作品に出ることが多かったが、魅力が半減するものも多かった。 スピルバーグに直接オファーされて意気込んだドリームワークス製作の「タキシード」は興行的に失敗。 ジュール・ヴェルヌ原作でアカデミー賞作品賞を受賞した「八十日間世界一周」をディズニーでリメイクした「80デイズ」は、最低のリメイク作品の烙印を押されてしまった。

21.2004年に「ポリスストーリーシリーズ」のセルフリメイクである「香港国際警察/NEW POLICE STORY」を製作。オール香港ロケで香港映画にカムバック。 作中のアクションやスタントに大そう手間がかかり、予算が3倍に超過したことで長年連れ添ったマネージャーと大ゲンカ。後に決別。 同作の興行成績は香港映画の記録を塗り替えた。

22.2009年公開の「新宿インシデント」では、アクションを一切封印。シリアスなドラマが展開される。 しかし、内容に身体破損などの残酷描写や、ベッドシーンが懸念され、検閲の厳しい中国では未だに公開されていない。

23.2010年にウィル・スミスとタッグを組み、同名リメイクである「ベストキッド」で準主演。 子役のアクション指導も担当。 今までは主演として脚光を浴び続けていたが、今作では打って変わって師匠として脇役に徹した。

24.そこからは激しいアクションをあまりやらなくなり、ドラマ性のある作品を中心に出続ける。 2013年には「ライジング・ドラゴン」で久々に激しいアクションに挑戦。 59歳にして背骨を折る。 今作では「1人の映画で最も多く役割を兼ねる人」でギネスブックに認定された。 アクションやめるとか言ってたけど毎度のごとく多分嘘。

25.2016年に製作された「スキップトレース」では、62歳だっちゅうのに肋骨を折ってる。 あと、本人は水泳があまり得意でないらしく、水中で溺死しかけた。

26.2019年ゴールデンウィークに日本で公開予定の「ザ・フォーリナー/復讐者」で、爆破事件で娘を失った狂気の退役軍人を演じている。 同作での走行中のバスを爆破させる撮影がロンドンで行われたが、あまりにもリアルのため、それをテロと勘違いした民間人が多かった。 当時ベルギーやバグダッドなどで爆破テロが相次いでおり、社会情勢が緊迫していたため、メディアではこの撮影が批判的に扱われた。 日本でも「イギリスでバス爆破 実は映画の撮影」とニュースが流れた。

これからのジャッキーの活躍に期待です!

実はまだまだジャッキーのトリビアのストックは持て余してるので、また近いうちにジャッキーの記事を書きます!

お楽しみに!